「不動産の本当の怖さと面白さを、知ってほしい。」

数年前、私は自ら競売物件を落札し、一人でリフォームして販売するという「実験」を行いました。

舞台は千葉県八街市。

落札した平成4年新築のパナホーム。

独立前のサラリーマン時代、毎週の休日をすべて注ぎ込んだ1年半の記録です。

作業は必ずプロに見積もりを取り、自分で作業をするの繰り返しです。

何が大変でいくらかかるのかを体感したかったのです。

文中に金額が出てきますが当時の単価です。

残念ながら現在は物価が高騰しているので1.5倍から2倍くらいになる可能性があります。

工事内容に関しては当時は個人でやっていたので、宅建業者としては許されない工程もありました。

作業を通して一番感じたのは職人さんへのリスペクトです。

自分の作業した部分と通りがかりに見る建築現場の差といったら・・・

  • 道路がない、水が出ない、銀杏の巨木……。

  • YouTubeを片手に、一人で挑んだ解体と造成。

  • 現場で出会った、忘れられない隣人たち。

当時、作業に必死すぎたのと、このようなホームページを作成することなど予想できなかったため、

写真は一枚も残っていません。

でも、ここにあるのは「綺麗事ではない不動産再生」の真実です。

これから家を買う方、不動産に関わるすべての方へ贈る、全30話のドキュメンタリー。

 

別リンクにて全30話公開中!

 

第4話:遺影と権利書。扉の向こうに置き去りにされた人生

 鍵を握りしめ、再び八街の地に立った。
下見の際に鉢合わせた、あの母娘はもういない。
一ヶ月の猶予を与え、「必要なものは持っていっていい」と伝えてあった。
残置物が減れば、私の撤去費用も浮く。
そんな合理的な計算もあったが、本音を言えば「もう彼女たちと目を合わせたくない」という緊張感の方が勝っていた。

幸い、現地に人の気配はなかった。
しかし、敷地へ一歩踏み込むと、そこには隣の実家にも劣らぬ「植物の要塞」が広がっていた。
高さ2メートルを超える木々が十数本、わがもの顔で空を塞いでいる。

 

 

 

意を決して、玄関の鍵を開けた。

1. 時が止まったままの茶の間

一歩足を踏み入れると、そこには異様な光景が広がっていた。
981.jpの写真で見た通り、つい数分前まで誰かが生活していたかのように、家財道具がそのまま残されているのだ。

中でも一番驚いたのは、和室の鴨居に残された「遺影写真」だった。
薄暗い和室の隅から、ご先祖様がじっとこちらを見つめている。
「……え、これ置いていくの?」 特別な信仰心があるわけではないが、日本人として、先祖を敬う気持ちはある。
大切にされるべきはずの遺影が、捨てられた家に取り残されている。
一体、どんな絶望があれば、これを持っていくことすら忘れてしまうのか。
あるいは、何か深い怨念でもあるのか……。
勝手なストーリーが頭をよぎり、思わず背筋が寒くなる。
私は「成仏してください」と小さく念じ、手を合わせると、その遺影をそっと持ち出した。
そして、隣の実家であったろうボロ家の軒先へ、表札と共に置かせてもらった。

「ここは、私の家だった」 そんな最後の主張なのか、それともただの無気力なのか。
主を失った表札を外す時も、私は手を合わせずにはいられなかった。

 

2. 捨てられた「権利書」と80年代の幻影

さらに驚いたのは、押し入れの奥に放り出された書類の中に、かつてこの家を手に入れた時の登記に関係する書類や思い出の写真が混ざっていたことだ。
普通の精神状態なら、絶対に捨てないもの。
それがゴミ同然に扱われている。
これが競売のリアルなのか。

写真に写る元の所有者は、どうやら私と同年代のようだった。
80年代独特のファッション、あの頃の街並み……。写真の色の褪せ方。間違いない。
私と同じ時代を歩み、この立派なパナホームを手に入れ、そして今、すべてを投げ出して去っていった一家。
その人生の重みが、私の肩にずしりとのしかかる。

 

3. プロの目で見つけた「二つの急所」

感傷に浸ってばかりはいられない。
一通り家の中を確認し、私はプロとしてこの物件を「商品」にするための戦略を練った。

この家の価値を殺している原因は、明確に二つある。
一つは、「貧乏臭いグレー」の外壁だ。
平成4年から10年位に大流行した色だが、メンテナンスを怠ったせいで、今の時代にはただただ景気が悪く見える。これは塗り直さない限り、誰も買わない。

もう一つは、「駐車場の不在」だ。
隣の実家に甘え、敷地をすべて立派な塀で囲んでしまった代償。
現代の不動産において、駐車場がない家は出口のない迷路と同じだ。

しかも、ここは八街。
駅まで7キロ、コンビニは幸い歩いて行けるがお店が集まる場所は3キロは離れている。

駐車場は2台確保したい場所だ。

「この塀をぶち壊し、庭の木をなぎ倒して、車が入るスペースを作るしかない。」

2メートルを超える木々と、鉄壁の塀を睨みつけながら、私は決意した。
だがこの時、私はまだ知らなかった。
シンボルツリーとして、2階の屋根を超える高さにそびえ立つあの「銀杏の木」が、どれほどの絶望を私に与えることになるのかを。

 

 

 

(第5話へ続く:道路が、水が・・・) 

第5話:絶望の発見。道が・・・、水が・・・、そしてそびえ立つ銀杏

家の中を確認し、私は外に出た。

「水道メーターは何ミリかな?」 リフォームを考える上で、水道メーターを確認するのはプロとして基本の作業だ。

配管の経路、メーター口径はリフォーム内容に影響を与える。

しかし、庭のどこを探しても、あのいとしい青い蓋が見当たらない。

代わりに目に入ったのは、隣の敷地の中、私の落札物件から1.5メートルほどの距離に置かれた、40センチ四方ほどの古びた白いプラスチック箱だった。

試しに外水栓をひねってみる。

水は普通に出る。

だが、その瞬間、白い箱の中から「ウィーン……」とかすかな機械音が響いた。

蛇口を止めると、音も止まる。

「……まさか、これ、井戸なのか?」

 

渋谷区生まれでヒップホップ育ち、社会人になってからは埼玉、千葉、そして東京の下町。

都市部でハウスメーカーの営業をしてきた私にとって、井戸は縁のないものだった。

焦って入札時の書類をひっくり返すと、そこには確かに「井戸」の二文字が。

「あのコンサル、いい物件だって言ってたじゃないか……」 うさん臭いと思っていたはずなのに、どこかで彼を信じ、チェックを怠った自分に猛烈に腹が立った。

プロを自称しながら、こんな初歩的なインフラを見落としていたなんて。

情けなくて、八街の空を見上げた。

言い訳をすれば、休日に行っていたこの事業。

どこかでスイッチがオフになっていたのかも知れない。

 

 

1. 道路という名の「罠」

さらに、追い打ちをかける事実が判明する。

目の前の道路は、舗装もされていない土の道。

側溝があるべき場所は完全に土で埋まり、機能していない。

何より衝撃だったのは、道路の所有権だ。

この道は「位置指定道路」として分筆されていたが、私の落札した土地の目の前にある道路部分だけが、競売の対象から外れていたのだ。

おそらく抵当権が設定されていなかったのだろう。

つまり、「土地は俺のものだが、目の前の道は元の所有者のもの」という歪な状態。

 

水も、道も、私の手の中にはなかった。

私はつぶやいた「だから350万で落札できたのか・・・」

 

 

2. 隣のおじさんと、銀杏の密約

立ち尽くす私の元に、一人の男性が近づいてきた。

道路向かいに住む、元電機メーカー勤務のサラリーマンだというおじさんだ。

見た目には60代後半に見える。

高度成長期からバブルにかけて日本を支えてきた元企業戦士だと思われた。

日曜大工が趣味だという彼は、自分が行った外壁塗り替えの話を楽しそうに話してくれた。

そして、新しい所有者になった私に興味津々の様子だった。

 

「実はね……」 おじさんは庭にそびえ立つ巨大な銀杏の木を指差した。

「この木、ずっと困ってたんだよ。風が吹くと枝が電線に当たって危なくてね。前の持ち主には何度も言ったんだけど、なしのつぶてでさ。

……あんた、これ切ってくれるんだろ?」

このおじさんが言うには、元々の所有者は自然信仰的な考えが強く、植栽が好きだったとのこと。

確かに46坪程度の敷地内にはこの銀杏の巨木以外に2メートルくらいの高さの木が10本程度生えていた。

いや、たしかに私も木はすきだが、この物件を経験して私は考えが変わった。

大きな木を敷地内に植えてよいのは地主だけ、と。

 

私は木のことなど二の次だったが、これからここで作業をする以上、近隣住人と揉めるわけにはいかない。

「わかりました。なんとかしますよ」 つい、そう答えてしまった。

 

水は隣のポンプ頼み。

そもそも不動産取引では敷地内に他人の配管が通ることですら重要事項説明義務。

それをこいつときたら、井戸が隣の敷地にある・・・

道路の権利は他人。

そして、隣人からは巨大な銀杏の伐採依頼。

八街の風に揺れる銀杏の葉が、まるで「さて、どうするんだ?」と私を試しているように見えた。

 

 

 

(第6話:1万円のチェーンソー vs 銀杏のボス。死闘の幕開け)に続く