代表の歩み:信義に生き、住まいの魂を 「再生(リボーン)」させる。

 

混迷の地・ラオスで芽生えた「人がどう生きるか」という問い

私は昭和44年、東南アジア・ラオスの首都ビエンチャンで生まれました。

このように書くと、私は外国人なのかと思われるかもしれません。

実は両親とも生粋の日本人。
父は江戸っ子。母は青森県津軽の出身です。

外交官であった父は、
隣国のベトナムが戦争の只中にあったラオスへ赴任しており、

母と共にその激動の地を歩んでいました。

そのような時代のさなかに、私は生まれました。

父は当時、ラオスで百年に一度とも言われる大洪水に遭遇したそうです。
大使館の地下には最新の通信機器が設置されていましたが、
押し寄せる水を防ぐことができず、
それらを水没させてしまい、
父は涙を流して悔しがったと聞いています。

その一方で、米軍は町の要所にあっという間に土嚢を積み上げ、
重要な場所を守りました。
父の話では、その土嚢は戦車が上を走れるほど大きく、
頑丈なものだったそうです。
そして、米軍が守った場所には、一滴の水も入らなかったといいます。

その光景を目の当たりにした父は、
日本とアメリカとの国力の差を、
痛いほど思い知らされたそうです。

ところがその一方で、現地のラオスの人々は、
洪水のあともなかなか引かない水で
釣りをしていたといいます。

彼らには、財産と呼べるようなものはほとんどありませんでした。
だからこそ、守るべきものも少ない。
父はその姿を見て、守るものがないということは、
これほどまでに身軽なものなのかと感じたそうです。

日本とアメリカの国力の差。そして、守るものを持たない人々の身軽さ。

その二つの光景が、父の中には強く残っていたのだと思います。
後年、父はそのときのことを、私にそう語ってくれました。

その後も父の転勤やJICAに所属していた兄の影響で、
インドネシア、韓国、ベトナム、タイ、イギリス、
フランス、インド、サモア、フィジーと、

世界各国の街並みや人々の営みに触れてきました。

それぞれの街の風景は、その地域の価値観の表現であり、
建物は人生を彩る舞台装置である。

その確信が、私を建築・不動産の世界へと導きました。 

昭和44年12月24日。

ラオス大使公邸での現地邦人が
集まってのクリスマスパーティー

若き日の父母。

母の膝にいるのが私。

昭和60年8月23日。

16歳の時に訪れたイギリス。
大英博物館にて。

右が今より27キロ痩せている私。

「三井のリハウス」で手にした、
不動産という夜道を照らす強力な懐中電灯

平成5年、私は不動産・建築の世界に飛び込みました。

大きな転機となったのは「三井のリハウス」での売買仲介の経験です。

ハウスメーカーを2社経験したのちに入社した三井のリハウス。
埼玉の川口店で当初、私は仲介の難しさに直面し、
全く契約が取れない日々を過ごしました。

週末の初回のご案内のアポは店で一番とれるのですが、
そのお客様の2回目のアポが取れないのです。

ハウスメーカーのような「請負」の世界では、
迷うお客様の背中を押すことが正義とされる場面もあります。

しかし、仲介は違いました。

強引に勧めれば勧めるほど、お客様は離れていく。

熱血な上司に叱られ続ける中で、私はようやく気づいたのです。

「仲介の本質は、売ることではなく、お客様の優先順位を整理し、
選ぶための『灯り』を灯すことだ」

仲介は、売主様と買主様の間に立つ仕事です。

どちらか一方が得をする提案では、決して話はまとまりません。

この時学んだ「三方よし」の精神は、私の血肉となりました。

この3年間で手に入れた知識は、
私にとって「暗い夜道でも遠くまで見通せる、強力な懐中電灯」
を手に入れたようなものでした。

この「不動産取引の本質」を掴んだ経験が、
後の私の大きな自信となったのです。

三井ホームでの「誇りある提案」と、
1センチにこだわる設計セオリー

 

その後、23年間勤務した三井ホームでは、
注文建築の部署に15年、その後不動産の経験を買われ、
常に土地が絡む複雑な部署の最前線に身を置いてきました。

地主様の資産活用となるアパート・賃貸マンションの企画・受注、
ドクターの独立を支える「診療所(クリニック)」の開業・用地選定サポート、
そして賃貸管理実務まで、土地と建物が複雑に絡み合う高度なプロジェクトを数多く
手がけてきたのもこの時期です。

そこでさらに「デザインの力」と「資産活用の本質」を学びました。

 

三井ホームは決して安くはありません。

最初の上司に言われた「価格で勝負するな。
誇りある最高の提案をしてこい」という言葉
は、今も私の胸にあります。

  • 家具配置のセオリー: 美しい部屋には必ず「シンメトリー(左右対称)」の法則がある。

  • 視線の抜け: ソファに座った時の「斜め上の視界」に吹き抜けを配置し、開放感を最大化する。

設計段階でソファやテレビの位置を決め、動線と視線を1センチ単位で計算する。

どれも初めて聞く話ばかり。

おしゃれな建築というのは、センスのいい人が設計しているからできるのでしょうか?
違います。

「セオリー8割、センス2割」この時セオリーを学びました。

世の中の住宅がいかにセオリーを無視して建築しているか気が付いた瞬間でした。

この「建築のプロ」としての視点と、
リハウスで培った「不動産のプロ」としての視点が合わさった時、
私にしかできない提案が完成したのです。

長年愛用しているメジャー

そして「ビック・リボーン・エステート」としての挑戦

父の他界とともに受け取ったささやかな遺産に背中を押され、
私は「自分の信じる仕事」をすることを決意しました。

社名の「リボーン(再生)」には二つの想いがあります。

一つは、組織の一員として自分を抑えて働いてきた私自身が、
ここで「生き返る」という宣言。

そしてもう一つは、古き良き時代に建てられた良質な注文建築を、
再び輝かせる(リボーンさせる)という挑戦です。

価値のない不動産はありません。
本質を見抜き、生まれ変わらせて(リボーン)世に送り出す。

それが私の使命です。

「誠実・信頼・責任」父から受け継いだ魂を込めて

不動産とは、単なる資産ではありません。

そこには家族の記憶があり、誇りがあり、人生そのものが宿っています。

だからこそ、扱う者にも「魂」がなければならない。

 

父は昭和11年、東京・神田に生まれ、
東京大空襲を命からがら生き延びた人でした。

「生き残った自分は、亡くなった方の分まで頑張らなければならない」
という父の言葉は、
私の中に「誠実・信頼・責任」という日本人の根底にある
価値観として受け継がれています。

地域に暮らす皆さまの声に静かに耳を傾け、信義に生き、まちに仕える。

一つひとつの仕事に魂を込め、あなたの家が持つ「本当の価値」を、
次世代へと繋いでまいります。

 

不動産という仕事は、お客様の人生そのものに深く関わるものです。
また仲介は人と人をつなぐ仕事。

今までのキャリアの中で、本当に色々なお話を伺ってきました。

「こんなこと、不動産屋に聞いていいのかな?」
と思うような、一見関係のないことでも大歓迎です。
どうぞお気軽にお問い合わせください。