代表の歩み:信義に生き、住まいの魂を 「再生(リボーン)」させる。

 

混迷の地・ラオスで芽生えた「人がどう生きるか」という問い

私は昭和44年、東南アジア・ラオスの首都ビエンチャンで生まれました。

外務省職員であった父は、隣国のベトナムが戦争の只中にあった現地へ赴任しており、青森県出身の母と共にその激動の地を歩んでいました。

国際的な環境、そして多様な都市や文化が交差する中で育った経験は、私の中に自然と一つの問いを芽生えさせました。

「人はどう生きるべきか。まちはどう人を包むのか。」

その後も父の転勤や兄の影響で、インドネシア、韓国、ベトナム、タイ、イギリス、フランス……と、世界各国の街並みや人々の営みに触れてきました。

それぞれの街の風景は、その地域の価値観の表現であり、建物は人生を彩る舞台装置である。

その確信が、私を建築・不動産の世界へと導きました。

 

 

 

昭和44年12月24日。

ラオス大使公邸での現地邦人が集まっての

クリスマスパーティー

若き日の父母。

母の膝にいるのが私。

昭和60年8月23日。

16歳の時に訪れたイギリス。大英博物館にて。

右が今より27キロ痩せている私。

「三井のリハウス」で手にした、夜道を照らす強力な懐中電灯

平成5年、私は不動産・建築の世界に飛び込みました。

大きな転機となったのは「三井のリハウス」での売買仲介の経験です。

ハウスメーカーを2社経験したのちに入社した三井のリハウス。
埼玉の川口店で当初、私は仲介の難しさに直面し、全く契約が取れない日々を過ごしました。

週末の初回のご案内のアポは店で一番とれるのですが、そのお客様の2回目のアポが取れないのです。

ハウスメーカーのような「請負」の世界では、迷うお客様の背中を押すことが正義とされる場面もあります。

しかし、仲介は違いました。

強引に勧めれば勧めるほど、お客様は離れていく。

熱血な上司に叱られ続ける中で、私はようやく気づいたのです。

「仲介の本質は、売ることではなく、お客様の優先順位を整理し、選ぶための『灯り』を灯すことだ」

仲介は、売主様と買主様の間に立つ仕事です。

どちらか一方が得をする提案では、決して幸せな結末にはなりません。

この時学んだ「三方よし」の精神は、私の血肉となりました。

この3年間で手に入れた知識は、私にとって「暗い夜道でも遠くまで見通せる、強力な懐中電灯」を手に入れたようなものでした。

この「不動産取引の本質」を掴んだ経験が、後の私の大きな自信となったのです。

三井ホームでの「誇りある提案」と、1センチの設計セオリー

 

その後、23年間勤務した三井ホームでは、注文建築の部署に15年、その後不動産の経験を買われ、常に土地が絡む複雑な部署の最前線に身を置いてきました。
地主様の資産活用となるアパート・賃貸マンションの企画・受注、ドクターの独立を支える「診療所(クリニック)」の開業・用地選定サポート、そして賃貸管理実務まで、土地と建物が複雑に絡み合う高度なプロジェクトを数多く手がけてきたのもこの時期です。
そこでさらに「デザインの力」と「資産活用の本質」を学びました。

 

三井ホームは決して安くはありません。

最初の上司に言われた「価格で勝負するな。誇りある最高の提案をしてこい」という言葉は、今も私の胸にあります。

  • 家具配置のセオリー: 美しい部屋には必ず「シンメトリー(左右対称)」の法則がある。

  • 視線の抜け: ソファに座った時の「斜め上の視界」に吹き抜けを配置し、開放感を最大化する。

設計段階でソファやテレビの位置を決め、動線と視線を1センチ単位で計算する。

どれも初めて聞く話ばかり。

「セオリー8割、センス2割」この時セオリーを学びました。

世の中の住宅がいかにセオリーを無視して建築しているか気が付いた瞬間でした。

この「建築のプロ」としての視点と、リハウスで培った「不動産のプロ」としての視点が合わさった時、私にしかできない提案が完成したのです。

長年愛用しているメジャー

「ビック・リボーン・エステート」としての挑戦

父の他界とともに受け取ったささやかな遺産に背中を押され、私は「自分の信じる仕事」をすることを決意しました。

社名の「リボーン(再生)」には二つの想いがあります。

一つは、組織の一員として自分を抑えて働いてきた私自身が、ここで「生き返る」という宣言。

そしてもう一つは、古き良き時代に建てられた良質な注文建築を、再び輝かせる(リボーンさせる)という挑戦です。

当時の職人が魂を込めて建てた家には、今の家にはない本物の素材と強さがあります。

「古いから価値がない」と解体してしまうのではなく、私の23年のノウハウを注ぎ込み、現代のニーズに合った「ヴィンテージ住宅」として再生させる。

それが私の使命です。

「誠実・信頼・責任」――父から受け継いだ魂を込めて

不動産とは、単なる資産ではありません。

そこには家族の記憶があり、誇りがあり、人生そのものが宿っています。

だからこそ、扱う者にも「魂」がなければならない。

 

父は昭和11年、東京・神田に生まれ、東京大空襲を命からがら生き延びた人でした。

「生き残った自分は、亡くなった方の分まで頑張らなければならない」という父の言葉は、私の中に「誠実・信頼・責任」という日本人の根底にある価値観として受け継がれています。

地域に暮らす皆さまの声に静かに耳を傾け、信義に生き、まちに仕える。

一つひとつの仕事に魂を込め、あなたの家が持つ「本当の価値」を、次世代へと繋いでまいります。